触らぬ神に祟り無し
2006年2月1日ぶっちゃけ怖い。
■ 太助
ちょっと喧嘩腰になる事があり。
友達でしょ?と言われるのに、馴染めない。
ので、人員整理。
そんな事があったかと思えば。
助けを求められて、即答で、助ける人も居る。
恩のある人に、頼られて。
Temの得意分野なので、もりもり調べる。
友人/知人の力を借りて。
今、日本国内にある物で。
良き物を探す。
助けられた事があるから、助ける。
その為に、友人に又、こういう事情なので手を貸してと恩を作る。
その友人に、又、後日、恩を返す。
Tem1人で出来る事ならば、楽だけど。
TemがAに恩を返す為に、Bの力を借り。
今度は、そのBに恩を返す為に、Aの力を借りて、又、恩が出来る。
そこから AとBが仲良くなったり。
助けてくれる人のありがたさが分かる。
■ 白黒
割と、白黒つけたがる。
でも、付けられる物ばかりじゃない。
そんなに言い切れる物事ばかりじゃない、世の中。
Aだから、とか。
Bだから、とか。
そんなカテゴリーで分けられない物も多いし。
カテゴリーで分けても、1つ1つが別の物と言う事実は変わらない。
黒だって、白く見える人も居るし。
白だって、黒く見える人も居るし。
白くしてしまう人も居るし。
黒くしてしまう人も居るし。
白でも黒でもなくて、グレイだと言う人も居るし。
あれこれ考えて、白と黒だけじゃない。
グレイもあるのだ。
白黒付けるってのがナンセンスな事だ。
……と、白黒つける自分。(あかんがな)
■ 理由
こんな事をグルグル考えてる訳は。
良く「言い方のキツイ人だな」と思っていた人と、似てると言われたから。
あ〜、Temの言い方ってキツイのかな〜と。
気をつける点ってのを考えて、指摘した相手に確認してみて。
意見や価値観が似ているってだけとの返事を貰い。
言い方の事では無かったらしい。
白い物を出された時。
その人は「黒じゃない」と言う。
Temは「白かも知れない」と言う。
そういう意見の類似はあるけれど、言い方では無いと言われて、ちょっとホッとしつつも。
言い方1つで、随分印象が変わるんだと、改めて実感。
物事をハッキリと言える人と言うのは、好きだし。
そういう「自分の意見」がしっかりしている人になりたいとも思う。
ただ、それが否定的になるのが嫌で、言葉を濁す事がある。
世間一般的に、悪だとされてる事があって。
友人/知人に、そういう人が居たとしても、その人を悪とは思わないし。
世間一般的に悪と言われる人と、同じカテゴリーとは思いたくない。
どういう人か?と言うのを見極められるようになりたいけど。
こういう人だ。と決める事は難しい。
良くて、こういう1面がある人だ、という濁した認識止まり。
これって、曖昧だし線引きの線が、蟻の行列になってしまっている。
でも、自分の事だって、その日によって掴み所が分からない。
気分によって、商人や武士達の「小Tem」の勢力図は変わる。
だから、人の事を把握しようなんて、至難の技で。
そんな変動する事を、把握ようとする意義を考えたりもする。
かと言って、把握するのがナンセンスとは思わない。
それぞれに抱える地雷みたいな物も知らずに、人には近づけないし。
一般的な物と言うカテゴリーで「ここに地雷」と決めるのも、安直な気がする。
その人が一般的とは限らないから。
何をする人と言うのでも、やはり切り分けは難しくて。
好きな人と嫌いな人が、同じ行動を取ったとしても、Temの受け取り方は違って。
そこに、えこひいきが存在する。
修道女のような平等意識は、殊更、難しい話。
出来る人を凄いと思うが、出来るようになりたいとは思わない。
認めるけれど、理解は出来ない、別の生き物と言う感じ。
そこで、そうですね。と落ち着いてしまえば良いのだけど。
「理解出来ない」に「なんで?」と返事を貰う時もある。
頭の理解だけならば、頭にその事実をインプットした、と言うデータが入るだけ。
消化しようとして、胃に鉄を流しいれる訳には行かない。
だから、納得出来る答えが無い事に、納得。
■ 考える
上手い表現が見つからないけど、価値観って、フランス料理みたいだ。
皿の上に皿が乗ってて、無駄な部分もあるけれど、そこに行きつくまでの歴史や、ただ食べるだけの Temの知らない試行錯誤や事実背景があって、そうなっている。
単純に、洗い物が増えるじゃないか。とか。
食べるのは、1番上のだけだから、無駄。とか。
確かに、事実かも知れないけど、背景を無視した正論な訳で。
上の方で書いた、一般的に無駄だからってカテゴリー分けは出来ない。
作った料理を少しでも綺麗に食べて貰おうと、見栄えを考えて、洗い物もじさずに皿を飾ってくれた部分を無駄とは言われたく無い。
でも、正論は論破し難い物で、それを理解出来る人が多いから正論で。
そして、皿を重ねる人は、自分でも無駄と分かってる事が多いように思う。
分かってるが、そうなるに至る出来事があって、成形されている物なのに「無駄」と一蹴されれば気分が悪いだろう。
「そうなった事情も知らないのに」と。
そこは、そうなった事情を説明しない方が悪いのか、とか。
そうなった事情を聞かずに一蹴した方が悪いのか、なんて問題はナンセンスに思う。
そこを話さない、お互いが悪く。
そこだけで利害が一致しないと決めるのが、悪い。
だから、白黒付けるのも、問題だと。
嫌いの判定を下すのが早いのも問題だと。
考え直そうとするのだが、電話の着信に「オカ」の文字が出るだけで、着信拒否する Temが居る。
……あかん。(反省)
■ 太助
ちょっと喧嘩腰になる事があり。
友達でしょ?と言われるのに、馴染めない。
ので、人員整理。
そんな事があったかと思えば。
助けを求められて、即答で、助ける人も居る。
恩のある人に、頼られて。
Temの得意分野なので、もりもり調べる。
友人/知人の力を借りて。
今、日本国内にある物で。
良き物を探す。
助けられた事があるから、助ける。
その為に、友人に又、こういう事情なので手を貸してと恩を作る。
その友人に、又、後日、恩を返す。
Tem1人で出来る事ならば、楽だけど。
TemがAに恩を返す為に、Bの力を借り。
今度は、そのBに恩を返す為に、Aの力を借りて、又、恩が出来る。
そこから AとBが仲良くなったり。
助けてくれる人のありがたさが分かる。
■ 白黒
割と、白黒つけたがる。
でも、付けられる物ばかりじゃない。
そんなに言い切れる物事ばかりじゃない、世の中。
Aだから、とか。
Bだから、とか。
そんなカテゴリーで分けられない物も多いし。
カテゴリーで分けても、1つ1つが別の物と言う事実は変わらない。
黒だって、白く見える人も居るし。
白だって、黒く見える人も居るし。
白くしてしまう人も居るし。
黒くしてしまう人も居るし。
白でも黒でもなくて、グレイだと言う人も居るし。
あれこれ考えて、白と黒だけじゃない。
グレイもあるのだ。
白黒付けるってのがナンセンスな事だ。
……と、白黒つける自分。(あかんがな)
■ 理由
こんな事をグルグル考えてる訳は。
良く「言い方のキツイ人だな」と思っていた人と、似てると言われたから。
あ〜、Temの言い方ってキツイのかな〜と。
気をつける点ってのを考えて、指摘した相手に確認してみて。
意見や価値観が似ているってだけとの返事を貰い。
言い方の事では無かったらしい。
白い物を出された時。
その人は「黒じゃない」と言う。
Temは「白かも知れない」と言う。
そういう意見の類似はあるけれど、言い方では無いと言われて、ちょっとホッとしつつも。
言い方1つで、随分印象が変わるんだと、改めて実感。
物事をハッキリと言える人と言うのは、好きだし。
そういう「自分の意見」がしっかりしている人になりたいとも思う。
ただ、それが否定的になるのが嫌で、言葉を濁す事がある。
世間一般的に、悪だとされてる事があって。
友人/知人に、そういう人が居たとしても、その人を悪とは思わないし。
世間一般的に悪と言われる人と、同じカテゴリーとは思いたくない。
どういう人か?と言うのを見極められるようになりたいけど。
こういう人だ。と決める事は難しい。
良くて、こういう1面がある人だ、という濁した認識止まり。
これって、曖昧だし線引きの線が、蟻の行列になってしまっている。
でも、自分の事だって、その日によって掴み所が分からない。
気分によって、商人や武士達の「小Tem」の勢力図は変わる。
だから、人の事を把握しようなんて、至難の技で。
そんな変動する事を、把握ようとする意義を考えたりもする。
かと言って、把握するのがナンセンスとは思わない。
それぞれに抱える地雷みたいな物も知らずに、人には近づけないし。
一般的な物と言うカテゴリーで「ここに地雷」と決めるのも、安直な気がする。
その人が一般的とは限らないから。
何をする人と言うのでも、やはり切り分けは難しくて。
好きな人と嫌いな人が、同じ行動を取ったとしても、Temの受け取り方は違って。
そこに、えこひいきが存在する。
修道女のような平等意識は、殊更、難しい話。
出来る人を凄いと思うが、出来るようになりたいとは思わない。
認めるけれど、理解は出来ない、別の生き物と言う感じ。
そこで、そうですね。と落ち着いてしまえば良いのだけど。
「理解出来ない」に「なんで?」と返事を貰う時もある。
頭の理解だけならば、頭にその事実をインプットした、と言うデータが入るだけ。
消化しようとして、胃に鉄を流しいれる訳には行かない。
だから、納得出来る答えが無い事に、納得。
■ 考える
上手い表現が見つからないけど、価値観って、フランス料理みたいだ。
皿の上に皿が乗ってて、無駄な部分もあるけれど、そこに行きつくまでの歴史や、ただ食べるだけの Temの知らない試行錯誤や事実背景があって、そうなっている。
単純に、洗い物が増えるじゃないか。とか。
食べるのは、1番上のだけだから、無駄。とか。
確かに、事実かも知れないけど、背景を無視した正論な訳で。
上の方で書いた、一般的に無駄だからってカテゴリー分けは出来ない。
作った料理を少しでも綺麗に食べて貰おうと、見栄えを考えて、洗い物もじさずに皿を飾ってくれた部分を無駄とは言われたく無い。
でも、正論は論破し難い物で、それを理解出来る人が多いから正論で。
そして、皿を重ねる人は、自分でも無駄と分かってる事が多いように思う。
分かってるが、そうなるに至る出来事があって、成形されている物なのに「無駄」と一蹴されれば気分が悪いだろう。
「そうなった事情も知らないのに」と。
そこは、そうなった事情を説明しない方が悪いのか、とか。
そうなった事情を聞かずに一蹴した方が悪いのか、なんて問題はナンセンスに思う。
そこを話さない、お互いが悪く。
そこだけで利害が一致しないと決めるのが、悪い。
だから、白黒付けるのも、問題だと。
嫌いの判定を下すのが早いのも問題だと。
考え直そうとするのだが、電話の着信に「オカ」の文字が出るだけで、着信拒否する Temが居る。
……あかん。(反省)
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